東方司令部は、今日も今日とて賑やかだった。
こんな子供が軍の司令部内を歩き回っていても何も言われないのは、それだけ自分が此処に足を運んでいる証拠なのだろう、なんて考えながら忙しなく動き回っている軍人達を横目にエドワードは黙々と目的の部屋へと歩みを進めていた。
「よ、大将!今日は一人か?」
声と共に後ろから背中を叩かれ驚いて振り返ると、其処には小脇に書類を抱えたハボックが立っていた。
「ん?ああ。アルは図書館行ってる。一応、明日の朝一で出発するから挨拶に来たんだけどー…って、もしかして。大佐居ない?」
恐る恐るそう訊ねると、ハボックはニッコリと笑った。クスクスと笑いながらバシバシとエドワードの背中を叩く。
「残念だったなぁ大将。大佐は今、中央司令部から態々嫌味を言いに来た将軍達と一緒に、楽しい楽しい会議中だ」
これに懲りたら今度からはちゃんと電話してから来いよ、と言いながらハボックは煙草の煙をゆっくりと吐き出した。暫く歩くと見慣れた執務室の扉が目に入った。ハボックの変わりに執務室の扉を開けて中へ入ると其処にはやはり、いつものメンバーが勢ぞろいしていた。ホークアイは大佐と一緒に会議に行っているので此処には居ないが、彼女以外は皆揃っている。エドワードはがっくりと肩を落しながら、ハボックが腰掛けた席の隣にゆっくりと腰をおろした。
「早く終わってくんねェかな」
溜息交じりにそう漏らすと、はフュリーが笑いながらコーヒーを手渡してくれた。早速口をつけると、何とも言えない味が口の中に広がる。いい加減慣れてはきたものの、やはり此処のコーヒーは、最高に不味い。
中尉が居れば紅茶を淹れてくれるのに、と思うと、やはり連絡をしてから来れば良かったと更に後悔した。
「そろそろ終わるんじゃないかな。大佐達が行ってから、かれこれ一時間半は経ってるし」
フュリーの言葉に、本当!?と勢いよく顔を上げたエドワードの顔は心なしか少しだけ晴れた様な気がする。
それからは、ハボックらが最近の出来事を話してくれたので、この部屋から笑い声が絶えることはなかった。ブラックハヤテ号に飛びつかれたブレダが失神したこと、大佐が執務室の窓から逃走しようとしてホークアイに見付かっていたこと、ハボックがまたもや彼女に振られたこと。様々な話を聞いて、呼吸困難で目に涙を浮かべながらも笑い続けるエドワードを見て、そこに居た皆が微笑んだ。彼等にしてみれば、エドワードは可愛い弟分なのだ。
エドワードが最後のコーヒーを口に含んだその時、 執務室の扉が開く音がした。

「鋼の?来ていたのか」
声と共に現れたのはエドワード嫌々ながらも待っていた人物であった。男の表情が些か疲れているように見えるのは気のせいではないだろう。大佐の後ろには、勿論ホークアイが付いている。彼女の手には、恐らくこれから大佐が処理しなければならないだろう大量の書類があった。
「エドワード君。紅茶でも淹れましょうか?」
此処のコーヒー、美味しくないでしょう?と言いながらホークアイは抱えていた書類を机の上に置いた。席に着いていた大佐が嫌そうに顔を顰めたのを見て、エドワードがくすりと笑った。
「ありがとう」
エドワードがそう答えると、ホークアイは紅茶を淹れれる為に席を立っていった。座ったばかりだったのに申し訳ないな、と思っていると大佐が口を開いた。
「それで、何かあったのか?鋼の」
「明日朝一で此処を出るから、一応報告にな」
「君が態々報告に?……明日は雨じゃなかろうな」
「五月蝿ぇ。良いのかよ。アンタが無能になる日、だろ」
「何を言うか」
いつもの如く始まった口喧嘩に、部下達は苦笑を漏らした。
口喧嘩の合間に、エドワードはホークアイが持って来てくれた紅茶に口をつけた。すると、先程までとは違うとても良い香りが口の中一杯に広がる。ほう、と息を吐き出すと口に残る後味が、何処かいつもと違っている事に気が付いた。
「あれ、いつもと違う……」
思わず漏れた言葉に、ホークアイが微笑った。
「よく気が付いたわね。誰も気が付かなかったのに」
「中尉が選んだの?良い匂いだな。すげー美味い」
「そう?それは良かった。エドワード君の為に用意したの」
「ほんと?ありがと」
もう一度紅茶に口をつけ、紅茶と共にホークアイが持って来てくれたクッキーに手を伸ばす。ホークアイのが言った、自分の為、と云う言葉が嬉しくて仕方がなかった。
「鋼の」
自分を呼ぶ声に振り返ると、小さく手招きされたのでクッキーを口に咥えたまま机に向かう。先日大佐に提出した報告書のスペルミスを指摘され、それを直した。それ位見逃せよ、と小さく呟くと、大佐は意地の悪い笑みを浮かべた。

その後も、クッキーを摘みながら半時間程、皆と話していた。皆、仕事の「し」の字も出さなかったがこんなので良いのだろうか。自分が帰った後にするのだろう、と思うと長居をしてしまったことが何だか申し訳なく思えた。
ふと時計を見上げると、アルフォンスとの約束の時間が近いことに気が付いた。
「あー、俺そろそろ行くな。アルが待ってるし」
そう言って立ち上がると、皆が少しだけ残念そうな顔をする。
それだけのことがとても嬉しかった。
「じゃあな、大将。また来いよ」
ハボックの言葉に、おう、と答えると横に座っているブレダやファルマン、フュリーもにっこりと笑った。
「下まで送るわ、エドワード君」
ホークアイはそう言って立ち上がると、さもやる気なさげにぱらぱらと書類を捲っている大佐の方を向いた。
「大佐、私はエドワード君を下まで送ってきますので」
「ああ、それなら私が……」
「大佐はお仕事をなさって下さい」
上司に向かって有無を言わさずぴしゃりと言い放ったホークアイに、エドワードも苦笑を隠し切れなかった。

二人で他愛無い話をしながら少し遅めの歩調で歩く。
ホークアイとの会話は、執務室から門までという短い道のりでは物足りないと思えるぐらいに温かく、心地のよいものだった。気が付くといつの間にか、既に門の前に到着してしまっていた。少し寂しいような気もするが、中尉も忙しいだろうからこんな所でいつまでも話している訳にはいかないだろう。
「ありがとう中尉。此処で良いよ」
中尉より一歩だけ前に出てそう告げると、ホークアイが優しく微笑んだ。
それじゃ、とエドワードがくるりと踵を返すと、中尉が何か思い出したかのようにエドワードを呼び止めた。
「エドワード君」
なんだろう、とゆっくり振り返る。
ホークアイが、今までに見たことも無いような柔らかい笑みを浮かべていた。
まるで、お母さんみたいだ。
まだ若い中尉には失礼かも知れないがその時、エドワードは確かにそう思った。


「いってらっしゃい。」

ホークアイのその言葉に、エドワードは泣き出しそうになりながらも、今の精一杯の笑みを浮かべた。
上手く笑えていたかどうか分からないが、自分へ想いがじわじわと伝わって来るような優しい声色は、遠い記憶の母親にとてもよく似ていた。







いつか、に続く言葉
(今にも泣き出しそうな笑顔は、15歳の子供には似付かわしくないもので)







ホークアイ中尉とロス少尉はお母さんだと思っています。
(2009.05.31)