玄関から来客を知らせる音が聞こえてきた。久しく聞いていなかったその音に、へいへーい、と間延びした返事を返しながら玄関へと向かう。仕事の依頼だろうかなんて淡い期待を胸に引き戸を開けると眼に飛び込んで来たのは、やけに暑苦しい髪型をした幼馴染(とてもそうは思いたくないのだが、世間一般ではそう呼ぶらしい)の姿だった。
その姿を認めた途端、自分の腕が反射的に勢いよく戸を閉める。しかしその行為は、戸の僅かな隙間に捻じ込まれている相手の手足によって阻まれてしまった。戸は開いているのか閉まっているのか、とても中途半端な状態で固まっている。僅か、草履一足分程の隙間がとても憎らしい。相手の足の骨をへし折るつもりで、戸を閉めている手に力を込めるが、相手も相手で閉めさせてたまるか、と言わんばかりに戸を開けようとしている手に力を込めたのが分かった。そんな行為に思わず舌打ちを漏らす。お互いの、ある意味必死な攻防にとうとう戸が悲鳴を上げ始めた頃、銀時は諦めて戸から手を離した。
その瞬間、スパーンと凄まじい音が響き、途轍もない勢いで戸が開いた。
開けた本人も、あまりの事態に驚きを隠せないで居るようだった。
銀時は業とらしく溜息を吐き、開いてしまった戸に背を向けて部屋へと上がっていった。
「何だよお前。勧誘はもう諦めたんじゃねェのかよ」
壁に凭れ掛かりながらそう言うと、さも当然と言わんばかりに家の中へ上がり込もうとしている男が、僅かに驚いたような表情を見せた。しかし一瞬で表情を戻して顔を緩め、笑みさえ浮かべる余裕を見せる。
「諦める?馬鹿なことを言うな。そのような事、口にした覚えは無いぞ」
男はそう言いながら、部屋の中へと入りソファへと腰を掛けた。銀時はじっと見詰めていた男の背中から視線を外すと、もう一度溜息を漏らし、男に続いて部屋へと入った。お茶は意地でも出してなんかやらない。銀時が向かいのソファに腰掛けるのを見て、男は言葉を続けた。
「手の届く距離にあるものを易々と手離してしまう程、俺は落ちぶれては居ないのでな」
「……俺の手なんて掴んでも、どうにもならねェぞ?」
何時もの様に、巫山戯た調子でそう言うと、目の前の男は先程よりもはっきりとした笑みを浮かべた。まるで餓鬼の頃、悪戯を成功させた瞬間のような懐かしい笑み。昔から変わらないそれは、自分を安心させるものでもあるが、同時に不安を掻き立てるものでもある。
嗚呼、やってしまった。
自分のペースで進めていた筈のゲームは、何時の間にか男のペースに変わっていたのだ。今の自分の科白は、男にチャンスを与えてしまったのだろうと思う。目の前の男の、勝ちを確信したかのような笑みが非常に癪に障る。
「昔から知っているだろう?俺には、お前が必要なのだ」
男の言葉に、全身の力が抜けそうになる。
ああ、知っているさ。昔からお前が、いつも似たような頼み方をしてきたことも、そう言われてしまった自分が最終的に断れた試しが無い事も、全て分かっている。
この男は、こうやって少しずつ今の自分を何処かへ引き摺っていくのだ。治りかけた傷を再度抉るかのように。やがて痛みを覚え、危機を感じた時にはもう自分は帰ることの出来無い所まで行っているのだろう。
ゆっくりと視線を自分の掌へと移した。太股の上で組まれている両の掌は、微動だにしていない。しかし心の中には、今日のこいつの切り札はこれか、と冷静に思う反面、やられた、と焦っている自分が居る。そして、心の何処かにこの言葉を望んでいた自分が居るのだ。心の中で鬩ぎ合っている感情を無理矢理に押さえ込み、男の表情を見ないままに言葉を紡いだ。
「……そうかよ」
取り敢えず、そう返すだけで精一杯だった。
お前のそういうことが俺は嫌いなんだ
(どうせ切り離せないってこと、知っているんだろう?)
こんな奴を完全に拒みきることが出来ない自分も、嫌いだ。
(2009.06.02)
(title:堕天使達のレクイエム)