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高校三年生は、言わずと知れた受験生である。
その年の初冬ともなれば、部活動などとうに引退し、放課後は受験勉強一色である。
それは勿論、誠凜高校の黒子テツヤも例外ではない。今日も学校の図書室での勉強を終えてから帰路についた。
中学校の頃から使っているマフラーを首に巻いて、玄関で靴を履き替えていると、自分の吐く息が白くなっていることに気がついた。ほう、と悴んだ指先に息を吹きかけると、冷え切った指先を一瞬だけ暖かい空気がかすめる。気休めにしかならないと分かっているが、もう一度指先に息を吹きかけた。
校門を出て、駅近くのコンビニに向かって歩く。肉まんでも買おうか、と考えていると、コンビニの向かいの公園から、ダムダムとボールが弾む音が聞こえた。こんなに遅い時間にストリートバスケかと何気なくそちらへと目をやると、フェンスで囲まれたコートの中で、一人バスケをしている人物がいる。この季節この時間に、ブレザーを脱ぎ捨ててワイシャツ一枚で、その人物は次々にシュートを決めていく。
街灯の明かりを受けながら動き回るその大きな背中は、黒子のよく知ったものであった。
「青峰君……」
思わず口から漏れた声に、フェンスの中の人物が振り返る。
「テツ? 久しぶりだな」
青峰は、額の汗をワイシャツの袖で乱暴に拭いながら、ゴール下に転がっているバスケットボールを拾い上げた。
入口にあるベンチに投げ捨ててあった大きなブレザーを、些か乱暴に掴み上げてから、黒子のいるフェンスの外へと出てくる。
「いくら君でも、風邪引きますよ」
挨拶より何より先に出てきた言葉は、中学の頃のような軽口。
黒子は、鞄の中から取り出したタオルを青峰に差し出した。青峰はそのタオルで汗を拭き、ブレザーを羽織る。
「サンキュ、悪ィな。テツもやるか? バスケ」
「遠慮しておきます。……君、受験勉強はいいんですか?」
「はぁ?」
「……すみません、馬鹿なこと聞きました。どうせ君はバスケ推薦ですよね。――沢山来たんでしょう?」
「まぁな」
青峰が、近くにあったベンチに腰を下ろすと、ベンチが僅かに悲鳴をあげた。青峰の口元からぼわりと白い息が吐き出される。一体どれほど長い間バスケをしていたのだろうか。青峰の息は僅かに乱れていた。またもや黒子は、鞄の中から未開封のペットボトルを取り出し、青峰に差し出した。サンキュと一言告げた青峰は、僅か一口か二口分のお茶を残して殆ど飲み干した。
「なぁテツ。お前は大学どこ行くんだよ」
青峰は、ペットボトルを黒子へと返しながら言った。突然の問いに、黒子はペットボトルを受け取り損ねて地面へと落してしまう。
「……別に、いいじゃないですか。どこでも」
僅かにへこんでしまったペットボトルを拾い上げると、落した衝撃でお茶が泡立っていて黒子は僅かに眉を寄せる。
「よくねェから言ってんだっつの。で、どこなんだよ」
強引なところは相変わらずですね、と黒子が溜息混じりに言うが、青峰は黒子の言葉など気に止めず、ただじっと黒子の言葉を待っている。真っ直ぐに黒子を見つめている目が、街頭の光を反射して煌いた。
しばらくの間、さして重くも無い沈黙が二人の間を流れていたが、とうとう根負けした黒子が自身の志望校を口にする。すると、黒子が思っていたものより大きな反応が青峰から返って来た。
「なっ! お前もそこ行くのかよ」
「も、って何ですか」
「黄瀬もそこ行くらしいぜ。さつきが言ってた」
「……黄瀬君、モデルの方はどうするんでしょう。高校三年間、殆ど活動してませんでしたよね?」
ここ三年間、黄瀬はバスケットボールに集中する為にモデル業を自重していた。黄瀬がこれから先どちらを本業にしていくのか、黒子は少し気になっていた。
「さぁな、そこまでは知らねェ。けどよ、テツん家からだと遠くねェか? その大学」
「バスケサークルがあって学力的に行けそうな所を選んだだけです」
「へぇ」
こともなげに答えた青峰が、ゆっくりとベンチから立ち上がった。黒子の正面に立ち、黒子に向かって唐突に拳を突き出した。
「……なぁテツ」
眼前に突き出された拳に、黒子はぱちくりと目を瞬かせる。いつもは自信に満ち溢れている青峰の瞳に、どこか不安の色が見えた。
「大学で、この青峰大輝の影として、一緒にバスケする気ねェか?」
唐突な問い掛けに、黒子は珍しく驚きをあらわにした。普段から表情の変化の少ない黒子が、驚きに目を見開いている。それを見た青峰が、照れたように頭を掻く。拳はまだ、突き出したままだ。
「それは、僕と同じ大学に行きたい、と。そういうことですか」
青峰は、その言葉に確りと頷いた。真剣な青峰の瞳を見て、黒子は微笑みを返した。
冬の夜、独特の乾燥した空気が黒子と青峰を撫ぜる。
黒子の脳裏に浮かんだのは、中学三年生の夏の風景。行き場を無くした自分の拳が、力無く下ろされたあの日の残像だ。その日を境に、目に見えて変わってしまったキセキの皆。逃げるように飛び込んだ新設校・誠凛高校。先輩達との出会いや、黄瀬に緑間、青峰たちとの対戦。走馬灯のように駆け巡る思い出が、今もまだこの胸を熱くする。
随分と遠回りしたようにも思えるが、決してこの道程は無駄ではなかったと、今なら胸を張って言える。
「……ちゃんと、合格してくださいよ」
黒子の言葉に、青峰はにっこりと無邪気な笑みを浮かべた。誰よりバスケを愛して、誰より高みを目指していたあの頃の青峰と同じ表情を、今の青峰もしていた。
「今の君の影は、とてもやり甲斐がありそうですね。――宜しくお願いします。青峰君」
そう言って、自分の拳を相手のそれにぶつけた。
およそ三年ぶりの行為。ただそれだけで、喜びに胸が震えた。
あの日の残像に手を振って
(過去でなく、未来を見て進んで行けるように)
なぁ、テツ。受験勉強、一緒にやらねえ?
(2010.11.10)
(2010.12.19)大幅に加筆&修正