広々とした廊下をゆっくりと歩いていると、口から長々とした溜息が漏れた。
いけない、と思い顔を上げると、黒いマントを身に纏った仮面の男が自身の目の前を横切った。珍しい人を見つけたな、と思い小走りで後を追った。最近、此処付近で顔を見る機会が少なかったため、少しぐらい話そうかと思う。
「ゼロ」
以前までは“ゼロ様”と呼んでいたが、今のゼロをそう呼ぼうとは思えない。それは、今のゼロが従兄妹であるからなのか、それとも別の理由なのかは分からないが、一応けじめだと思っておく事にしている。向こうも、今までは呼び捨てだったのが急に呼び方を改めなければいけないということで、此方を“神楽耶様”と呼ぶのに大分違和感があるようだ。時々、ぎこちない呼び方になっている。
「ゼロ、お久しぶりですね」
二度目の呼びかけで漸く此方の存在に気が付いてくれたようで、やっと振り返ってくれた。
「神楽耶様ですか、久しいですね」
「えぇ、こちらは大忙しですもの。……大変なんですのよ?」
「そうですか。それはそれは、お元気そうで何よりです」
ゼロからの言葉に微笑を返すと、ゼロも仮面の中で微笑ったように思えて少しだけ可笑しかった。数週間会わない間に大分成長したようだ。今まではボロを出すまいとしていたのか必要最低限しか話さなかったが今回は、確りと出来ているじゃないか、と感じたる程だった。まるで『彼』のようだ、とも思う。受け答えや言葉遣い、仕草までもそっくりだった。『彼』の妻を自称していた私がそう思うのだ。自信に思ってよいと思う。本人にも、言そうってやりたいが、流石にそれは拙いので遠慮しておこう。此処では人の目がある。何より、ゼロ本人が、スザクであることを認めようとしないので、何を言っても無駄だろう。
「貴女は、強いですね」
不意に聞こえてきたゼロの言葉に、違和感を感じた。ゼロは……スザクは、このような事を言う人物だっただろうか。少なくとも、私の知っているスザクは、このような事は言わない。
違和感が、どんどん大きくなって心に積もっていく。ゼロに重なっている一つの面影がぶれる……何故だろう、『彼』の影が重なって見えるのだ。そんなことは無い、そう思っても心が『彼』を求めている。『彼』であったらいい、と期待してしまう。自分に言い聞かせるかのように、心の中で何度も唱える。彼は、死んだのだ、と。
悪逆皇帝と呼ばれた『彼』、ゼロであった『彼』。ルルーシュの行動に偽りは無かった。確かに彼は、私達に、彼等に嘘を付いたかも知れない。それでも、最終的には彼のおかげで私達の元に日本が返って来たのだ。それだけは、間違うことなき事実であり、真実なのだ。
「えぇ、ゼロが取り戻して下さった“日本”の代表ですもの。」
スザクではなく、『彼』のおかげなのだ、という事を匂わせながらその言葉を口にすると、ゼロは小さく押し殺したようにクツクツと笑った。その笑いは明らかにスザクのものではない。
心が僅かに跳ねた。ほんの一瞬でいい。スザクのような仕草でもいい、ぎこちない呼び名で呼ぶでもいい。『彼』でない、という事実を見せ付けてさえくれればいい、と思った。馬鹿みたいに期待してしまうではないか。叶うわけも無い夢を見てしまうではないか。
「流石は、私の妻だな」
耳に届いたゼロの言葉。ぶれる影が、完全に重なった。
「――――ゼロっ……、ゼロ様っ!!」
涙で視界が歪んだ。
彼は『彼』だ、間違いない。と私は確信していた。私は唯、涙を拭いもせずにゼロ様ゼロ様と呟きつづけているだけだったし、ゼロは何も言わずに私の横に立っているだけだった。それでも、嬉しくて悲しくて悔しくて仕方が無かった。
「……えぇ!わたくしは、貴方の、妻ですもの。当然でしょう?」
歓びに震えている喉から絞り出した声で紡いだ言葉。
怒りたかった、謝罪したかった、感謝したかった。聞きたい事も沢山あったし、伝えたい言葉も沢山あった。それなのに唇は、思い通りに動いてなどくれなくて。
もうこれ以上の言葉は紡げなかったけれど、私は、もう十分だった。
掠れた言葉でした
(機械を通した貴方の声は、とても優しく響いていて)
形だけの夫婦だったとしても、確かに愛していたのです。
(2008/12/02)